
修繕から改修へ ― 旧耐震マンションの特性と課題
旧耐震基準により建築されたマンションはすべて築後30年以上を経過しています。築後30年を超えると第三回目の大規模修繕工事の時期が迫り、さらに年を重ねた物件では再生のための改修が重要な課題になっています。国交省は「マンションで一般化している大規模修繕工事は、修繕と呼ばれているが、その実施回数を追うにつれ、改良の割合を大きくした改修工事として実施することが必要」と指摘し、改修への本格的な取り組みを示唆しています。耐震診断を済ませばそれでよし、という状況でないことは確かです。
ここでは旧耐震マンションがどのような住宅政策と社会環境の中で建てられたのかを調べ、データによる分析結果をもとにその特性を探ることにします。対象の旧耐震マンションは、法の施行から竣工までの期間を考慮して1982年12月までの竣工物件としました。
首都圏では、終戦後、とくに高度成長期にかけて地方からの人口流入により、大幅な社会増が続きました。こうした状況を背景に分譲マンションの供給がはじまり、これに対応する施策が講じられました。
1962年にマンションの基本法である「建物の区分所有等に関する法律」が制定されて、マンションの資産としての法律的位置付けが明確になりました。分譲は利便性の高い東京都心からはじまり、まず高所得者向けの高級物件が売り出され、60年代後半になると一次取得者向けのファミリータイプが出回りました。一方、国の持家政策の推進のため公団(現:住宅・都市開発機構)による団地型の大規模マンションが数多く供給されました。南面3室の箱型住棟はこの時代を象徴する建造物といえます。
旧耐震基準で建てられたマンションは1都3県に12,600件(複数棟の物件を含む)、83万戸あり、全ストックの25%を占めています。今回はこの全ストックに対する比率(25%)を基本べースにして、これを超える事例を検索し、その特性を探ることにします。
地域別に全ストックに対する比率を算出すると、平均値(25%)を超えるのは東京都だけです。マンションの供給が都内からはじまり、用地の取得が困難になるにつれて、近隣他県へ輪を広げてきた経緯が数字上からも読み取れます。とくに都心4区はその比率が高く、港区52%、渋谷区47%、千代田区43%、目黒区41%となりほぼ半分が旧耐震という状況です。
上記都心4区における密集スポットをマップで紹介します。
港区(赤坂8丁目)渋谷区(桜丘町)千代田区(三番町)目黒区(三田2丁目)
住宅難を解消するため国の施策として供給された公的物件は、旧基準の比率がおしなべて高くなっています。公団48%、公社平均65%(東京都公社80%、神奈川県公社72%、横浜市公社66%、埼玉県公社82%、千葉県公社61%)となり、使命達成の成果と受け止められます。民間マンションは23%で全体比を2%下回ります。
民間マンションはこれまでに多様なブランドマンションが売り出され、400銘柄を超えるともいわれています。その中から旧耐震基準の比率が高いものを検索しました。シャンボール、クレール、秀和レジデンス、永谷マンション、サマリヤマンションの5銘柄は90%を超えています。クレール、カーサ、GSハイムも70%を超える高比率です。これらは30~60戸程度の規模で、最寄り駅に近く至便な立地で、街に溶け込むように建っています。
旧耐震基準のマンションは既存市街地の限られた用地に建てられたため、1棟の規模は小さくなります。旧耐震マンションの平均規模は65戸ですが、民間マンションに限ると54戸です。一般に小規模マンションと呼ばれている総戸数30戸以下について調べると対全体比は30%。小規模マンションの3割が旧耐震ということも気になるポイントです。
以上の結果をまとめると旧耐震基準により建てられたマンションは
- 東京集中の傾向が強い
- 市街地に立地する小規模タイプが多い
- 郊外には団地型の公的住宅が目立つ
- 分譲社が存在しないブランドが見られる
分析結果のまとめ 旧耐震基準マンションのストックデータ
改修による再生は可能か。これまでみてきた旧耐震マンションの特性から判断すると、その道はきわめて険しいというのが実感です。小規模マンションが多いため、事業を単独で遂行できる管理組合は限られるからです。それに管理組合員の高齢化という問題も加わります。
利点とみられるのは立地面で、市街地に点在していることです。街(地域)の活性化という視点で見ると、たとえば建物の一部に活性化に繋がる施設の導入を条件に改修を行うという案もあります。改修を一つの管理組合の問題として捉えるのでなく、街のあるいは地域の活性化という視点で捉えるなら、その活路は見出せると考えます。